共感の不可能性。
他者を理解することなどできない。他人は他人。
その上で、だからこそどうやって他者を知ろうとできるのか。
お互いを見殺しにせず生かし合えるのか。
他者との共感の困難さを考える時、
例えば、自閉した存在であるひきこもりという生き方をせざるを得なくなった人々は、
その象徴的な存在なんだ。
ひきこもりは今新たに顕在化してきた社会問題のひとつでもある。
当事者は国内だけで150万人以上居るとも言われている
(その家族や関係者も準当事者といえるならそれを合わせれば
一体どれくらいの数の人がこの問題に向き合っているのだろう)。
けれど、その存在はブラックボックスである為、国の対応も遅れている。
当事者は連帯したり外に思いを発したり出来ない歴史も続いてきたので、
一部では第三者による自称支援の人権侵害も続いてきた。
他者を知る事の困難さという普遍性や、
同時に、現在的で深刻で困難な社会問題に対して元当事者としてなら何が出来るか、
アートでなら何が出来るか、について取り組んでいます。
最近空の写真を撮ってブログにあげています。
昔、永くカーテンすら締め切るひきこもりだった僕は、
当時青空を見るのがキツかった。
空が青々とすればする程、その下で自分無しで楽しそうに完結してる社会が憎かった。
モニター越しにならようやく見られるという人(僕はそうでした)も居ると思う。
そういう人にも空を見せたい。
2018年9月5日(水)横浜にて